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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2021年3月30日(火) 10時30分

    天神山城と放送3年の総括

    2021年3月30日(火) 放送

    西播磨地域に広く分布する山城をメインに1年間、解説してまいりましたこの番組も、今回が最後になりました。2018年4月に始まった「西播磨の山城」から通算すると157回を数えました。西播磨県民局管内を中心に詳しく述べた山城は、68カ所以上に上ります。最終回は、佐用町上本郷天満の天神山(てんじんやま)にある天神山城を取り上げます。JR姫新線「三日月駅」から本郷川沿いに北東約3キロに位置し、海抜250メートルの山頂付近にあり、南側の傾斜が緩やかになっている山全体に、曲輪があったと思われる削平地が、段々畑のように頂上付近まで続いています。天神山城の手前に仁増構(にんぞうのかまえ)、奥には海抜420メートルもの大内谷山(おおちだにやま)城が控えています。

    1441年に起きた嘉吉の乱で失脚した赤松氏に代わり、播磨守護となった山名氏配下の小笹九郎兵衛尚恒(なおつね)が、船曳荘を支配して城主となりましたが、後に赤松氏が復活する際、円心の長男・範資の三男・直頼にルーツを持つ、大内谷山城主だった船曳尚重が、宍粟市山崎町の長水城主の宇野氏の協力を得て、夜襲をかけて落城させたとの伝承があります。この時、尚重は姓を奥氏に改めていたため奥五郎兵衛とも表記されます。

    最初の城主・小笹氏は、全国の大字単位の小地域分布でも、天神山城のある佐用町上本郷地区が5位に入るほど一族が集中していますので、城主の系譜が今も受け継がれているのでしょう。また山名勢から城を取り戻した船曳氏は、世話になった宇野氏の居城・長水城が信長・秀吉軍に攻められた際、尚重の孫・直興の代、板挟みで苦悩の末、長男・尚信を地元に置き、養子の三男・藤八郎と次男・与三(後の杢左衛門)が、宇野方と秀吉方に分かれて参戦し、お家存続を図りました。しかし関ケ原の戦いでは、時の天神山城主・船曳尚信が西軍の宇喜田秀家について敗れ、帰農しました。

    山城には紛らわしい事柄が多数あります。佐用町上本郷と同じ「天神山城」が播磨だけで少なくとも、あと5カ所あります。たつの市新宮町上莇原(かみあざわら)、姫路市書写西坂本、姫路市夢前町前之庄本庄、加古川市志方町西飯坂、加東市天神などにも天神山城があって厄介です。また城主の名前や地名に由来する別名も多く、座標軸に収まらず、何度も天を仰ぎました。そんな困難を何とか乗り越えられたのもリスナーの皆さまの励ましのおかげです。まだ解明できていない事柄は、地元の山城研究家の皆さまの成果に期待いたします。

    放送は今回でいったん区切りを付けまして、4月からは毎月1回、第3火曜日の『谷五郎の笑って暮らそう』の番組中、11時14分ごろから始まる「谷五郎のぐるっと西播磨」コーナーで、約7分、谷さんとの掛け合いで楽しく山城話に花を咲かせたいと思います。新年度からも、ぜひお聴きくださいますようお願いいたします。