山城とは(上)
2018年4月3日(火) 放送 / 2018年4月8日(日) 再放送
「山城」について語るに当たって、まず「城」とは何かを明らかにしなければなりません。城は一般に「支配する領地を守る拠点あるいは要塞」でありまして、同時に「領主や支配下の武士たちの住居や武器倉庫も兼ねた施設」と定義できます。時代が下りますと、町人たちが暮らす城下町全域を含めたりもしますが、私たちが「城」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、どんなものでしょうか。
関西に住んでいる方なら、「姫路城」でしょうか。何しろ「世界遺産」ですからね。あるいは「大阪城」かもしれません。いずれにしても、高い石垣と深い堀があって、高くそびえる「白亜の殿堂」のような形に落ち着くかと思います。もちろん、姫路城も大阪城も日本を代表する城なのですが、日本における城の歴史からすると、江戸時代初めに建てられた「最も新しい部類」に属するものなのですね。
姫路城などの立地に見られるように、やや高台になっているか、平野にあって、豪華絢爛な大天守閣を擁する城は、いわば城郭史の“終着駅”です。そこに至る前には、格段に簡素な、「砦」と変わらないような城もありました。
初期の城は、「防御する」という軍事的有利さから山の上に築かれました。山頂付近にあるから「山城」と呼びます。普通、山麓から城までの高低差が200メートル以上あるものを山城と呼びます。では「城」には、どんな機能が要るでしょうか。第一に「防御」、第二に「武器の倉庫」、第三に「住居」が必要ですが、山の上は、やはり生活しにくいですね。そこで、戦いが無い平和な時は、麓で領民たちと共に暮らしまして、いざ敵が襲来した際、山上の城に立てこもって応戦しました。そんな山城は「山岳城塞」と言った方が適切かもしれません。
では、日本の城は、どのような発達の過程を経て、山から麓へ、さらに平地へと降りていくようになったのでしょうか。時代による「変化」と、その「理由」を押さえながら見ていきましょう。時代区分は大きく「古代」「中世」「近世」に分かれます。
最初の「古代山城」について述べる前に、もっと古い時代を探っておきましょう。日本で山の上に「軍事的防御施設」が確認できるのは、弥生時代中期以降の「高地性集落」と思われます。例えば、芦屋市北部の会下山遺跡や香川県三豊市の紫雲出山遺跡など瀬戸内や大阪湾沿岸に数多く見られますが、これはまだ「山城」には入りません。山城に分類できる最初が「古代山城」です。飛鳥時代から奈良期を経て平安時代初めごろまでに築かれた城で、特に朝鮮半島の築城法の影響によるものが多いですね。立地は三方を山に囲まれた所で、山頂を鉢巻のように囲んで土塁を巡らせまして、谷の出口に石塁を置いて城門を開き、水門を築きました。このスタイルを「朝鮮式山城」と呼んでいます。
なぜ、日本に朝鮮様式の城があるのでしょうか。その理由は、次回のお楽しみです。
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