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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2018年5月13日(日) 08時30分

    城山城(中)

    2018年5月8日(火) 放送 / 2018年5月13日(日) 再放送

    前回は、たつの市新宮町馬立(うまたて)にある「城山(きのやま)城」が、古代の「朝鮮式山城」と、その700年も後の「中世山城」の2つの時代から成る「複合遺跡」で、こうした所は西播磨ではここだけだとした上で、「朝鮮式山城」について詳しく説明しました。

    実は朝鮮式山城は、今も畿内から西日本各地に残っていまして、有名どころでは、福岡県大野城、長崎県金田(かねた)城、香川県城山(きやま)遺跡、大阪と奈良にまたがる高安城などがあります。そんな中で、たつのの城山城はマイナーですが、主に山の西側斜面に当時の門の礎石や石塁、土塁などがしっかりと残っています。遺構の残存率から言えば、中世山城の物より、むしろ古代の朝鮮式山城の方が多いと思われ、少し不思議な気がします。

    ここからは、城山城の「立地」についてお話しましょう。揖保川の西岸にありまして、小字地名と山の名前は「(かめ)の山」と書いて「きのやま」と読みます。城は山頂(458メートル)付近に築かれておりまして、東斜面はそそり立つような崖ですが、山上は比較的広くなだらかな「削平地」になっています。

    あちらこちらから登り道が延びております。メインの「大手道」は、山の東側の馬立地区にありまして、南の龍野から行きますと、国道179号を北へしばらく走り、船戸交差点から西へ県道724号に入り道なりに進むと、道路西側に「大手登山口」の道標が見えてきます。近くには「馬立古墳群」も控えています。一方、搦手の道は、山の北側の市野保(いちのほ)という地区にありまして、越部八幡神社を目指して行けば、道標が見えます。南の龍野まで従走路も付いています。また近年、指摘される別の大手道については回を改めてお話します。

    この城山城は、地図上の直線距離では、JR姫新線・東觜崎(ひがしはしさき)駅から西方向へ3キロ足らずの所に位置しています。大手道を登っていくと、(かめ)の池と書く「()の池」との分岐点付近の尾根に着きます。さらにこの尾根道を南へ進むと海抜458メートルの亀山(きのやま)山頂に達します。頂の北側に二重になった横堀が残っているのが、赤松氏ゆかりの中世山城の数少ない遺構です。

    堀は折れ曲がって北の方へ伸びていまして、途中に土橋のようなものが2カ所あります。堀の北の端から西へ行くと石塁があり、更に北西尾根の方には、門の礎石が2つ残っています。山頂から南へ行くと谷間に沿って広い屋敷跡のような、平らに削られた所が南東方向へ延びていまして、さらに峰の間の谷間を南へ曲輪が連なります。

    この谷間の平坦地に、1441年にあった「嘉吉の乱」の戦死者を祭った碑と案内板が立っています。谷間の東の峰は山頂こそ、手狭な平らに削られた土地ですが、その周囲には広い曲輪がありまして、一部に建物の基壇と思われる石列や土塁が残っています。