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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2019年3月24日(日) 08時30分

    利神城(2)

    2019年3月19日(火) 放送 / 2019年3月24日(日) 再放送

    佐用町平福にある利神城の2回目です。利神城は、江戸時代初期に築城された「近世山城」として珍しい存在だったのですが、完成後3年もたたないうちに壊されてしまいました。城普請の名手だった池田由之が手塩にかけて築き上げた、完璧なまでの出来上がりが幕府から見れば脅威となると、叔父の姫路城主・輝政が恐れ、破却を命じたと言います。

    その後、由之が岡山県倉敷市の下津井城に移り、代わって1615年、輝政の6男・池田輝興が2万5000石を与えられて新たに平福藩が誕生しました。それもつかの間、1631年に兄の池田政綱が後継の無いまま亡くなったため、輝興が跡を継ぎ、赤穂藩主となったため、平福藩は消滅し、利神城も廃城となりました。以後、平福は宿場町として発展していきます。しかし、赤穂に転じた池田輝興は14年後、突然気が触れ、正室や侍女数人を斬殺して、改易となりました。代わって常陸の笠間藩から来たのが、忠臣蔵で知られる浅野氏でした

    では、江戸期までの利神城の様子です。平福に初めて山城を築いたのは、赤松一族の別所敦範で、南北朝期の1349年とされます。赤松氏の重要拠点、上郡町赤松の白旗城を守る北の押さえが目的でした。しかし100年近くたった1441年、赤松満祐が室町幕府将軍の足利義教を殺害した「嘉吉の乱」によって、別所氏は赤松氏もろとも一時滅亡しました。25年後の1466年、初代利神城主にゆかりの別所治定が城を奪回しました。

    こちらの別所氏は、赤松一族なのですが、系図が多数あって、はっきりしません。そこで、播磨の代表的な系譜をたどりましょう。まず利神城を初めて築城した別所敦範です。敦範は、赤松円心の弟・円光の孫に当たり、4代ほど後に、三木城を築いた別所則治がいます。則治の孫が安治で、その子が、秀吉の兵糧攻めにより「干殺し」される長治です。

    では利神城を奪還した別所治定と、三木の別所氏はどんな関係でしょうか。佐用の治定は、三木城を築城した則治の弟・光則の孫に当たると思われます。この辺り、各種系図が錯綜しているため確証はありませんが、赤松氏をルーツとする別所氏が、さらに二手に分離し、利神城と三木城に分かれて城主を務めたことは事実でしょう。

    戦国時代に入り、秀吉が播磨に攻め込んできた時、利神城主だったのは、城を取り戻した別所治定の孫・定道でしたが、秀吉に恭順しました。しかし、城主を継いだ弟の林治(しげはる)は、本家筋の三木城主・別所長治が秀吉に反旗を翻すとこれに従い、毛利方に付いたため、播磨は大混乱に陥ります。