放送1年を振り返って
2019年3月26日(火) 放送 / 2019年3月31日(日) 再放送
今回で番組が始まってちょうど1年を迎えますので「総括」をしたいと思います。昨年4月から今年3月まで52回にわたりまして「西播磨」を中心に一部、お隣の中播磨にも少し寄り道をしながら、多くの山城を見てまいりました。詳しく取り上げた城の数は20カ所ほどですが、名前だけ挙げた所を含めるとその倍にも上ります。
番組を担当しております私は、特に山城の専門家ではありません。もともと神戸新聞の文化・学芸一般を担当してきた記者・編集委員でありまして、兵庫県内の歴史をはじめ民俗や文学・音楽などを担当し、多くの記事を書いてきました。
「山城」については、『古戦場を歩く』という複数の記者が分担する連載に携わりまして、佐用町の「上月城」や三木市の「三木城」をルポしたのが、最も深い関わりでした。あとは『ふるさと全史』という長期連載では「近世藩」の成立事情などを掘り下げまして、藩の成立と共に誕生した城や陣屋について取材・執筆したのが印象深い思い出となっています。
この番組の企画も、私の新聞記者としての仕事から声が掛かったようですね。そんな訳で、山城のお話も、城郭の専門家なら強くこだわる石垣や曲輪の形状などは、さらりと流し、専ら山城が出来た時代背景と築城した人物や人脈に多くの時間を割きました。
ただし、中心となる「中世山城」の築城者と年代は分からないケースが多く、地元での伝承や後の江戸期に書かれた文献などを頼りにしましたので、どこまで真実に迫れたのかは、心もとない限りです。
それでも、西播磨の山城の大半が赤松氏一族の手によって築城されたことが、ほぼ間違いない事実が徐々に分かってきました。可能な限り具体的な人名を出すよう心掛けました。しかし、人物については大問題が立ちはだかります。赤松系と言っても、有名なのは円心と3人の息子たち。それに「嘉吉の乱」を起こした満祐ぐらいで、他の多くは無名です。
そこで、新たな名前を出す場合は、必ず「赤松円心」からの続柄を付け、系譜をたどれるよう工夫しました。私自身が専門家でないため、例えば「赤松則弘」などと言われてもピンとこなかったからです。これを「円心の長男範資の息子で光範の弟、広岡氏の祖」と言うようにしました。それは、赤松一統についても同じ方法を取りました。つまり別所氏をはじめ佐用・上月・宇野・広瀬・広岡氏などです。少し煩雑にはなるのですが、見取り図のつもりで、執拗に付けました。次回から新年度に入りますが、引き続きお聞きください。