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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2020年3月8日(日) 08時30分

    鞍背城

    2020年3月3日(火) 放送 / 2020年3月8日(日) 再放送

    たつの市新宮町千本(せんぼん)鞍背(くらせ)城です。JR姫新線「千本駅」の北側にある集落からさらに北側、南西にせり出した海抜288メートルの山頂に鞍背城があります。揖保川の支流・栗栖川が鞍背城の南を流れ、川に寄り添いながら姫新線は北に向かい、佐用町の旧三日月町から南光町へと西へ走っています。揖保川本流の西岸にある香山(こうやま)城、川を少し下った東岸の曽我井城と連携して、南に位置する赤松氏の拠点・城山(きのやま)城を守るため、山城ネットワークを形成していたものと思われます。

    その鞍背城、曽我井城とも詳しい情報はありません。鞍背の名は、山の形が馬の鞍に似てるからでしょうか。城の起源は一応、建武年間(1334~38)に赤松円心が当時、播磨守護代を務めていた宇野頼季(よりすえ)に築かせたとされます。しかし、この宇野頼季なる人物の実像がはっきりしません。

    宇野氏は以前取り上げましたが、少し復習しておきましょう。赤松氏と同じく「村上源氏の末裔」と称し、山田入道頼範の長男・為助または四男・将則が宇野氏の直接の祖とされます。その宇野頼範の息子は最初、現在の佐用町米田辺りの宇野荘を拠点として、宇野氏を名乗りました。やがて力を付け、鎌倉時代初期の1193年には宇野頼景または則景が佐用荘の地頭となり、源頼朝の正室・北条政子の弟・義時の娘をめとった時点で、格が上がりました。

    その宇野頼景の息子が「赤松氏の祖」である赤松家範とされますので、赤松氏は宇野氏から出ている事実から言えば、宇野氏は赤松氏の本家筋に当たります。赤松氏の祖・家範の曽孫である赤松円心が挙兵すると、同族の宇野氏もはせ参じ、以降は赤松氏の家臣となり、山名氏が室町幕府に対して起こした反乱「明徳の乱」にも参加しました。戦いで手柄を上げた宇野氏は、円心の三男・則祐の息子・赤松義則の時代に西播磨の守護代に任じられ、全盛期には8つの郡を宇野氏が支配しました。

    さて、鞍背城を築城した宇野頼季とは何者でしょうか。結論から言えば、断定できる資料はなく、はっきりしないのが残念ですが、ある系図を基に強引に結論を導くと次のようになります。山田頼範の長男・為助から数えて5代目の宇野宗清なる人物の弟に頼季の名が見えます。その弟・宇野国頼の子孫が後に宍粟市山崎町の長水城や篠ノ丸城主として登場します。

    鞍背城は1441年、赤松満祐が起こした「嘉吉の乱」で、城山城などと共に落城しました。現在、鞍背城には山頂の平坦地を小規模の曲輪が取り囲み、井戸跡らしきくぼみや石垣なども一部残っています。