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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2020年3月15日(日) 08時30分

    曽我井城(上)

    2020年3月10日(火) 放送 / 2020年3月15日(日) 再放送

    たつの市新宮町曽我井にある曽我井城です。前回は、建武年間(1334~38)に赤松円心が当時、播磨守護代を務めていた同族の宇野頼季(よりすえ)に築かせたとされる鞍背城を取り上げ、謎に包まれた宇野頼季なる武将について、あれこれと述べました。角度を変えて言うと、赤松円心の高祖父、つまり円心から4代前の則景の兄・為助から数えて4代目・頼定の次男が宇野頼季でした。

    その宇野頼季は一説によると、初めて小寺氏を称したともされます。あるいは、同じ赤松一統のよしみで頼季が宇野氏の婿養子として入ったとの説もあります。頼季には2子があり、うち頼秀の系統は美作と備前の国境、岡山県津山市中北上(なかぎたかみ)の海抜500メートル近くにそびえる岩屋城主を一時期務め、もう1人の小寺景治の流れは、まだ砦の域を出なかった頃の姫路城主を務めました。

    宇野頼季を小寺氏の祖・小寺頼季と位置付ける説によると、赤松円心の次男・貞範が初めて築城した姫路城に、小寺頼季が2代目城主となり、次いで頼季の息子・小寺景治が姫路城主の3代目となっています。これだと、実像がはっきり浮き上がってきます。

    さて曽我井城です。揖保川本流では、たつの市最北部の西岸に香山(こうやま)城があり、川を少し下った東岸に曽我井城が控えていて、先の鞍背城などと共に連携して城山城の守りを固めていました。曽我井城は海抜180メートルの山頂に位置します。南北両朝に分裂したころ、元弘年間(1331~34)に赤松円心が築いたのが最初とされ、そのまま100年余りが経過した頃、1441年、赤松満祐が「嘉吉の乱」を起こしました。当時、満祐の弟・義雅の家臣が曽我井城を守っていたらしいのですが、あえなく城山城など、もろともに落城しています。

    ただし、これで曽我井城は終わりません。乱から17年後に赤松義雅の孫・政則がお家を再興し、姫路市夢前町に赤松氏の新たな本拠となる置塩城を築くと、西の守りのため、政則の側室の子・村秀に龍野古城を与えました。村秀は当初、たつの市御津町の室山城主だった宇野氏の養子に入りましたが、後に赤松姓に戻り、龍野古城に移りました。

    龍野古城の主は、龍野赤松氏として息子の政秀から長男・広貞、次男・広英(秀)へと続き、あまり知られていない三男の祐高(すけたか)が、復活した曽我井城を守りましたが、天正年間(1573~92)、秀吉による播磨攻めで曽我井城も落城しました。ところが、この赤松祐高は、その頃、斎村政広と名を変えていた次兄と共に秀吉に従いました。以後、しぶとく生きる兄弟のその後は次回です。