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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2020年5月24日(日) 08時30分

    伝台山城

    2020年5月19日(火) 放送 / 2020年5月24日(日) 再放送

    たつの市揖保川町袋尻にある伝台山(つだいさん)城です。前回取り上げた梶山城から1.5キロほど西という近さから、伝台山城と梶山城は深いつながりがあります。梶山城は「揖保川の下流域を押さえる肥塚氏の居城」で、伝台山城は「室津街道ににらみを利かす城」と言えるでしょう。

    伝台山城は賀茂神社の南西にそびえる海抜129メートルの山上にあって、最初の城主は紀ノ説孝(ときたか)とされますが、他の伝承もあります。14世紀半ばの観応年間(1350~52)に大阪府東部の河内荘を支配していた西脇内匠頭(たくみのかみ)という武将が築城し、1392年に梶山城主だった赤松教弘が伝台山城に移って城主になったという説です。

    赤松教弘とは先に述べましたように、赤松円心の長男・範資の曽孫で、赤松七条家の4代目に当たり、梶山城の築城者でした。しかし、すぐ近くの伝台山城を最初に築城したとされる紀ノ説孝も西脇内匠頭も人物の実像はよく分かりません。

    この伝台山城は、1441年の嘉吉の乱で落城し、30年近く後の1469年に赤松政資(まさすけ)が再び築城しますが、そこから約100年を経た1570年、廃城になりました。初登場の赤松政資とは、どんな係累の人物でしょうか。最も分かりやすく言えば、後期赤松氏初代の政則の養子となった赤松義村の父です。梶山城を築城した赤松教弘から見れば、政資は曽孫に当たります。

    伝台山城には遺構として曲輪や石積みのほか、山頂に縦10メートル横10数メートルの長方形の削平地などが残っています。江戸中期の地誌『播磨鑑』や1903年に編まれた『兵庫県揖保郡地誌』などの記載によると、鎌倉幕府の第2代執権・北条義時の頃(1205~24)の築城と伝えますので、13世紀初頭と考えられます。

    築城から100年余りたった1330年代には、浦上村宗と息子が伝台山城に入り、その20年ほど後の観応年間に西脇内匠頭が城主となりました。しかし約40年後の1392年、赤松教弘との戦いで伝台山城は落城しました。

    後に西脇氏は帰農したのですが、地元の名家として続き、4代目・三郎太郎は、1427年に現在の賀茂神社に当たる賀茂大明神の社殿を建立し、100年近く後、時代は戦国に入った1522年には、今も残る浄土真宗本願寺派の超念寺を開基しました。さらに、子孫の太郎右衛門は、姫路城築城の際に材木奉行を務めました。その事実は、1956年に昭和の大修理で解体された心柱に名前が記されていたことから判明しました。