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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2020年10月4日(日) 08時30分

    『中国行程記』から⑫鳩ケ峰

    2020年9月29日(火) 放送 / 2020年10月4日(日) 再放送

    萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの12回目です。たつの市揖保川町正条から室津港に至る「室津道」をたどります。揖保川下流域西岸の揖保川町袋尻から西へ県道・中島揖保川線を経て、岩見揖保川線に合流して、南西に行くと旧金剛山村、さらに旧馬場村からは、南に折れて岩見港へと至る県道に別れを告げ、そのまま清涼山元誓寺へ真っすぐ進む旧道をたどります。

    元誓寺は、もともと鎌倉初期、室津道の海抜108メートルある峠・鳩ケ峰の北側に建てられていた天台宗清水山(せいすいざん)清凉寺がルーツですが、南北朝の動乱で堂塔が焼かれてしまいました。この寺を室町後期の1492年、浄土真宗に改宗し、麓の沢村、後の馬場村に移転の上、建てられたのが元誓寺でした。山号の清凉山は元の清凉寺を受け継いでいます。昭和6年に改築した際、あがり門の棟木から戦国期の「大永2年沢村」の文字が見つかりました。西暦1522年ですので、建立30年の節目を記念しての改修だったのでしょうか。

    室津道も鳩ケ峰に至る道は、曲がりくねった急な山道ですが、越えてしまうといきなり視界が開け、室津の港が見渡せます。明治の初め、峠に切り通しが造られた当初は歓迎されたものの、今は草ぼうぼうで、通る人もほとんどいません。

    萩藩の絵図方・有馬喜惣太が『行程記』を完成させた江戸中期の1764年ごろは、この道が参勤交代のメインルートでした。中国・四国・九州から船で室津の港にやって来た各藩士らは、いきなり見上げるような峠にさぞうんざりしたことでしょう。『行程記』の「鳩胸坂という大きい坂があり、道は広いが悪い」といった記述に、恨みがこもっているような気がします。「鳩ケ峰」を「鳩胸坂」と誤記しているのもまたご愛きょうですね。「鳩」と来れば「峰」よりも「胸」、つまり鳩胸と続く方が熟語的にはすんなり来るからかもしれません。

    室津には、これまで何度か触れてきた室山城があります。港の東側、室津御崎の一番高い所が通称「古城山」で、正式には室山と言います。古くから知られていたと見え、『行程記』にも山頂に灯篭堂を描いています。源頼朝が支配を固めた1186年に、地元の武将・(むろの)四郎に命じて築かせたとの伝承は、『平家物語』にある室山合戦からの創作ではないかとも言われています。

    また文豪・谷崎潤一郎は、婚礼の夜、龍野赤松氏に襲われて落城した室山城と、滅びた浦上氏の悲劇に興味を抱き、室町末期の瀬戸の島々や港町を舞台として、大名から幕府の執権、遊女、没落貴族、海賊まで登場させ、大伝奇小説に仕立てようとした『乱菊物語』が、未完に終わったのは残念ですね。