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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2020年9月27日(日) 08時30分

    『中国行程記』から⑪金剛山竜隆寺

    2020年9月22日(火) 放送 / 2020年9月27日(日) 再放送

    今回から再び、萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズに戻ります。11回目です。本論に入る前に前回取り上げた、たつの市御津町伊津の伊津城に関する補足をしておきます。乏しい記録の中で、室町末期の「小松原盛忠なる武将が、伊津城を構築し海岸の警護に当たった」との記述についてお話しましたが、その小松原氏です。

    現在の高砂市荒井町小松原の地で、赤松氏から姓を改め、地名を名乗り始めた人物に、全く同姓同名の小松原盛忠がいます。ただし時代は300年ほどさかのぼった鎌倉時代中期の武将で、北条重時に従って活躍した武功により1261年、高砂の小松原の地を与えられ、赤松から改姓した小松原盛忠が小松原城を築いたと言います。城主は初代盛忠から義景-景満-永春-春武-武香(たけか)と6代続きました。この小松原氏は、高砂市における政治・経済・文化の偉大な貢献者とたたえられ、城跡に顕彰碑が建てられていますが、御津町の伊津城との関係は分かりません。

    さて絵図『中国行程記』に戻り、たつの市揖保川町の正条から室津港に至る「室津道」をたどります。揖保川下流域西岸の、揖保川町袋尻から西へ県道・中島揖保川線を経て合流した、岩見揖保川線を南西にたどると旧金剛山村に入り、『行程記』には讃岐・丸亀藩の高札と金剛山竜隆寺が描かれています。高札が掲げられた札場は、徳川8代将軍吉宗の時代に正式に決められ、元禄の頃には「忠孝札」「毒薬札」「キリシタン札」「賭博札」などがありました。

    竜隆寺は、白鳳時代の650年に伝説的高僧・法道仙人が開基したとされる古刹で、伝説では、女人が経を読み、花瓶の水を飲んだところ、たちまち竜となって昇天したところから当初、「竜」が「立ち昇る」の「立つ」と名付けられたと言います。後の鎌倉後期の戦乱で焼失した後、現在地に移転し、臨済宗妙心寺派の寺院となりました。

    県道・岩見揖保川線を南西にたどると旧馬場村ですが、かつては沢村と言い「沢村千軒」と呼ばれるほどにぎわいました。室津の賀茂神社で飼われていた、神に仕える馬の放牧場があり、宿駅の馬の手入れや飼育もしていたことから後に地名が馬場に変わったとされます。参勤交代の大名一行が必ずこの地の宿で休憩したのも村のにぎわいに一役買いました。

    県道は、突き当たりにある元誓寺の手前で南東へと直角に向きを変え、岩見港に向かいます。しかし『行程記』に記された旧道は、清涼山元誓寺から奥へと進み、近藤池を左に見て難所の鳩ケ峰を目指します。