『中国行程記』から⑬遊女発祥の室津
2020年10月6日(火) 放送 / 2020年10月11日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの13回目です。たつの市揖保川町正条から室津港に至る「室津道」をたどってきましたが、いよいよ終着の室津です。この『行程記』は、一般向けの旅行ガイドではないため、名所旧跡があまねく網羅されているわけではありません。あくまで萩藩の参勤交代の際に役立つ情報を厳選している関係で、あまり関係のない赤穂城下などは簡単に、逆に寄港する港町などは詳しく触れられています。例えば、現在では瀬戸内航路の要衝ではなくなっている坂越港などが手厚いのはそのためです。
もちろん坂越より重きをなしていた室津には、絵を担当した有馬喜惣太も力がこもります。室津については既に2019年5月に「室山城と室津の繁栄」と題してお話しましたが、ここでは『行程記』の記述を基に、角度を変えて見てみましょう。喜惣太は、町並みも室津明神と呼ばれた賀茂神社を中心に多くの寺院を整然と描いています。
「家1000軒あり、繁盛の地なり、瀬戸内にては第一の船懸かりなり、懸かり船あるときは6~700艘もあり」と記しています。「船懸かり」とは船の停泊とその場所です。また有名な遊女町も気になったようで、「女郎屋は5軒と定められていたはずなのに今は2軒しかない」と残念そうです。かつては実際、「郎」を「良」と書く「女良屋町」も存在し、町の中心部には龍野藩が営む御茶屋や惣会所、高札場などのほか、大名らが泊まる本陣は6軒もありました。
宿場は本陣と脇本陣の2軒までが普通だったことからすると、室津の規模の大きさがうかがえます。その証拠に、西国大名のほとんど67もの藩が利用したとされます。大名船が入港するとなると大変です。数百人の雲助らが集まり、本陣側は早船を仕立てて沖合まで迎えに出て、上陸の際には、笛や太鼓ではやし立て、祭りさながらのにぎわいだったと言います。
喜惣太が女郎屋にこだわったのは、室津が「遊女発祥の地」と知っていたからでしょう。室君と呼ばれた花漆という美女がいて、船泊まりした中国の唐人から贈られた小さな箱を開けると、珍しい8畳釣りの蚊帳が入っていたため、宮中に献上しました。お礼にもらった黄金1000両で5つのお寺を建てました。浄名寺・正法寺・正洞院・大雲寺・見性寺のうち現在、残っているのは見性寺だけです。
室君は普賢菩薩の化身ともされ、姫路・書写山の性空上人と会った際、菩薩になって西の空へと飛び去ったという話をはじめ、さらには法然上人と会って仏の道に進んだといった話など、遊女にまつわる伝説がいろいろと残っています。室君の墓とされる宝篋印塔と友君の墓が浄運寺にあります。
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