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山崎整の西播磨歴史絵巻

  • 2019年11月24日(日) 08時30分

    光明山城(上)

    2019年11月19日(火) 放送 / 2019年11月24日(日) 再放送

    相生市竜泉町にある光明山(こうみょうせん)城です。相生市と言えば「造船の町」のイメージから「海」を思い浮かべる方が多いと思います。山城では、相生湾の奥に浮かぶ、もともと島だった大島山城などは「海の町・相生」を象徴する存在と言ってもいいでしょう。

    その半面、もともと赤穂郡だったつながりから、山がちの上郡町に近い所は、しっかりとした「山岳地帯」の性格も併せ持っています。長く赤松氏の本拠だった上郡町赤松の白旗城と連携し、後醍醐天皇の建武政権にくみする新田義貞軍を食い止めた感状山城は、相生市矢野町森にある事実がよく物語っています。

    今回の光明山城は、その感状山城から南東へ4キロほど下った、たつの市揖西町(いっさいちょう)小犬丸との境界に位置します。このため「たつの市の山城」ともされます。次回取り上げる予定の相生市若狭野町下土井の下土井(下土居)城へは光明山城から西へ3キロ余りの所で、連携するには持ってこいの位置関係にあります。

    同じ播磨ながら北播磨県民局管内に紛らわしい光明寺なるお寺があります。こちらは加東市光明寺にある高野山真言宗の寺院で、法道仙人の開創と伝える古刹ですが、1351年に足利尊氏と弟の直義(ただよし)が戦った観応(かんのう)擾乱(じょうらん)「光明寺合戦」で知られますので、知名度では光明寺の方が高いかもしれません。

    さて、相生市の光明山城の方は、別名がたくさんあります。そのうちの光明寺城は、加東市の寺院と同じですので紛らわしさに拍車を掛けていますが、ほかにも紫雲城や逆茂木(さかもぎ)城とも呼ばれ、もう一つの小犬丸城の名は、たつの市側の地名から来ています。

    海抜261メートルの光明寺山の西側尾根にあり、伝承では1336年、赤松円心がこの地にあった山岳寺院を改築して山城に転用したとされます。城主は家臣の海老名氏から宇野氏、さらに内海氏へと受け継がれ1577年、秀吉の播磨侵攻で廃されたと言います。

    現在、城跡には林道が通っていまして、その北側の最も高い所が城の中心施設で、土塁と空堀の向こうに三つの大きな曲輪が並んでいます。他の曲輪は、そこから南側へ伸びる尾根と、南北の尾根の部分に集まり、全部で6カ所を数えます。軍事施設として堀切や(うね)状竪堀群などが残っています。

    代々の城主について、あまりはっきりしたことは分かりませんが、初代と思われる海老名氏や宇野氏について、次回、考察いたします。