放送2年間の総括
2020年3月31日(火) 放送 / 2020年4月5日(日) 再放送
この放送は2018年4月に始まりまして、今回で105回を数え、来月から3年目に入ります。「西播磨の山城」と名乗るからには、関連が深い周辺の一部を除き、ほぼ西播磨地域に限定して取り上げてまいりました。しかし、これはなかなか厄介な作業でした。
というのは、昔から郷土史家ら多くの方々が研究対象としたり、近年、地元教育委員会による大規模な発掘調査が行われたりした山城は案外少なく、多く見積もっても20カ所に満たない状況でした。しかし、西播磨県民局管内の4市3町内には、古文書に名前は出てくるものの場所が特定できない山城を含めると、180カ所以上も存在したと思われます。
では、ほとんど未調査の所には情報が全く無いかと言うと、そうとばかりは言い切れません。おぼろげな伝承があったり、城主に絡む地元有力者の系図が残されていたりと、“山のにぎわい”になりそうな“枯れ枝”のような話は結構ありました。こうした断片を、落ち穂拾いさながらに集めると、チリツモよろしく、もっともらしい説明にはなっていきました。
私は長年、神戸新聞の文化記者として、歴史から文学・民俗・地理・音楽・書評・レジャーなど文化一般を取材対象としてきました。こうした執筆経験を買われ、2007年から神戸学院大学で地域学として兵庫県や神戸市内のあらゆる事象について講義してきました。しかし、歴史や城郭の専門家ではありませんし、西播磨で多くの山城が造られた中世史家でもありません。あくまで、県内の各地域を角度の異なる多くの視点で照らし、埋もれている魅力をあぶり出すのを務めとしてきました。
その意味では、専門家なら「資料不足のため結論は出せないし、事実をゆがめる恐れがある推論は避けたい」として全く触れられない可能性が高い山城の解明にも挑戦しました。知られざる、文字通り埋もれた所にも光を当て、チリやほこりのような話をジャーナリズムの手法でかき集めて対応してきました。そのため、特に発掘調査が実施されていない山城については、やや学問的正確さに欠ける点、おわびいたします。
このよう、40を超える山城に加え、少しでも理解を深めていただこうと赤松氏をはじめ地元豪族の盛衰についても掘り下げました。例えば宇野・広瀬・森・上月・岡・尼子・島津・香山の各氏のほか、幕末・維新期に活躍した立石孫一郎や大鳥圭介らにも言及しました。
2年間で相生・赤穂の2市と上郡・太子の2町についてはほぼ完了しましたが、たつの・宍粟の両市と佐用町内には、まだ踏み込んでいない所が存在します。この番組は4月からタイトルを『西播磨歴史絵巻』に改め、残る山城への探求と、周辺の名所・旧跡をも併せまして、新たな切り口による解説に励みたいと思います。引き続きお聴きくださいますよう、お願いいたします。
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