『中国行程記』から㉒山田古墳群
2020年12月8日(火) 放送 / 2020年12月13日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの22回目です。太子町原地区には地名や神社に『播磨国風土記』の世界が息づいていましたが、原地区の東に位置する山田の地には「火の雨が降り、火の風が吹いた」とする恐ろしい伝承があります。
山崎整が兵庫県西播磨地域の歴史の魅力をお伝えします。
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2020年12月8日(火) 放送 / 2020年12月13日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの22回目です。太子町原地区には地名や神社に『播磨国風土記』の世界が息づいていましたが、原地区の東に位置する山田の地には「火の雨が降り、火の風が吹いた」とする恐ろしい伝承があります。
2020年12月1日(火) 放送 / 2020年12月6日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの21回目です。太子町原かいわいには『播磨国風土記』ゆかりの地名や人物が残ります。一つは「言挙阜」です。神功皇后が朝鮮出兵から戻り、皇后に敵対する勢力に兵を向ける日、「わが軍が戦いをすると言挙げ、つまり口に出してはならない」とした訓示から、地名となったと言います。また近くの「鼓山」は、古代氏族の額田部連伊勢(ぬかたべのむらじいせ)と神人腹太文が、この鼓山で争った際、鼓を打ち鳴らして戦った故事からの地名と言いまして、「額田部連伊勢塚」と称する立派な石碑が立っています。
2020年11月24日(火) 放送 / 2020年11月29日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの20回目です。歴史的には怪しくても長く伝承される話が各地に残っています。人物は実在しても関連が薄いと思われる話と、人物そのものが架空で神懸かった大活躍をする話などのタイプに分かれます。太子町太田には、この2種類の話が伝わり、興味をかき立てられます。
2020年11月17日(火) 放送 / 2020年11月22日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの19回目です。『行程記』は太子町太田の楯岩城にも触れています。2019年2月に取り上げましたので簡単に振り返ります。山の中腹を国道2号太子竜野バイパスのトンネルが貫く城山の頂上に楯岩城があります。登山道の途中には大きな岩がごろごろあり、城の名前の通り、盾のような岩が連なり、一部は石垣のように積み上げられています。大字地名に基づき「太田城」とも呼ばれます。海抜250メートルの山上の「楯岩城大山構跡」の立て札からすると、別の太田城の出城だったのかもしれません。江戸中期の『播磨鑑』によれば、後醍醐天皇の「建武の新政」の頃、1330年代に赤松円心の長男・範資の息子・赤松則弘(広)が太田城を築城したとしています。この則弘は、後に広岡五郎を名乗る広岡氏の祖とされます。
2020年11月10日(火) 放送 / 2020年11月15日(日) 再放送
萩藩が残した絵図『中国行程記』を基にしたシリーズの18回目です。太子町鵤の斑鳩寺周辺には聖徳太子ゆかりの遺跡がいろいろあります。606年に太子が推古天皇に法華経を講義して、播磨国揖保郡の土地360町歩を賜って命名した斑鳩(鵤)荘の地名が今も息づいています。そればかりか、賜った荘園の範囲・区画を示すために置かれた膀示石が、しっかりと現存するのは驚きです。