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三上公也の朝は恋人

  • 2018年3月19日(月) 03時38分

    加西・戦争遺跡モニターツアー

    先日、兵庫県加西市観光まちづくり協会とJヘリテージが主催する「戦争遺跡を巡るモニターツアー」に参加しました。鶉野飛行場周辺の戦争遺跡に対する整備事業が加西市によって進められていますが、秋ごろの一般公開を前に整備が進む未公開の幾つかの防空壕跡を訪ねました。まずは戦闘機「紫電改」の組み立て工場にあった格納庫へ。第二次大戦中兵庫県加西郡、いまの加西市に川西航空機鶉野工場の格納庫がありました。そのうちの1棟は姫路市内に移築され、今も運輸会社の資材倉庫として使われています。許可を得て見学させてもらいました。

    幅約24m、奥行約33m、天井高約11m。
    三角形を組んだ梁で支えられ、骨組みはトラスト構造になっています。

    こんな古い表記の看板がありました。

    姫路を後に加西市へ移動。法華口駅から鶉野飛行場跡に続く軍隊坂を登って行きます。

    途中、爆弾庫へ。高角砲弾、800㌔、250㌔、50㌔爆弾、戦闘中に装備した機関銃や燃料が貯蔵されていました。

    コンクリートの厚みは壁で70㎝、天井は1mあり、1トン爆弾に耐えられる構造になっていて、奥には換気口が設けられています。

    素掘りの防空壕。

    昭和20年3月19日に初めてアメリカ軍機の攻撃があり、急遽兵員避難のために造られた通気性を考慮してコの字型をしています。法華口駅から衛兵詰所までの道ですぐに退避できるよう素掘りの防空壕は道沿いに4ヵ所造られました。

    コンクリートで造られた強固な退避壕。衛兵詰所の兵隊と面会者の退避に使われていました。内部は爆風を和らげるために複雑な構造になっていて、換気口も設けられています。壕内には30人程度が入れます。

    飛行機や軍事施設に低空から進入してくる敵機戦闘機に対し、射撃する対空機銃が設置されていました。機銃は25㍉連装機銃と呼ばれ、日本海軍で広く使われていました。円形の機銃座は第二次大戦中に鶉野飛行場周辺に5か所設置され、現在4ヶ所が当時のまま残されています。 

    階段で中に下りることが出来ます。
    内部は防空壕のような造り。 

    一方の出入口からは梯子式に上り下りできます。

    飛行場周辺には数多くの防空壕が残っています。

    中はひんやり。

    換気口もちゃんと設けられています。

    そして土を盛って小山のようにカモフラージュされた基地内最大の巨大防空壕も! 

    勾配のきつい階段が設置されています。 

    長さは14.5m、幅5m、高さ5mの内部空間がある最も大きな防空壕。自力発電施設として使用され、高温多湿のため天井を高くし、冷却水槽、換気吸気に配慮した構造になっています。

    そしていよいよ飛行場跡へ。
    長さ1200m、幅60mの滑走路跡。エプロンなども残っています。

    ここは昭和18年10月に設けられた姫路海軍航空隊の置かれていた場所で、航空戦力保持のため日本海軍がパイロットの訓練のために突貫工事で造ったといわれます。
    沖縄戦が始まるや神風特別攻撃隊「白鷺隊」が編成され、5度の出撃で全機が失われ63人の若い命が散ったそうで平和記念の碑が建立されています。 

    局地戦闘機「紫電・紫電改」の発動機の整備に使われた整備台。 

    整地に使われたとみられる石の巨大なローラー。 

    平和祈念の碑の場所に掲げられた旭日旗の上を航空機が通過。 

    当時の戦争の面影を色濃く残してるところが沢山ありました。こうした戦争遺跡を保存し歴史を風化させることなく後世に伝えようと、地元の保存会や行政が一緒になって様々な活動を行っています。今回は寄りませんでしたが飛行場資料館では鶉野の歴史や滑走路脇にあった川西航空機鶉野工場で組み立てられていた局地戦闘機「紫電改」などの資料が展示されています。そして戦争遺跡を歩くウォーキングガイドツアーなども行われています。
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