津軽旅2日目は津軽鉄道・津軽五所川原駅午前8時10分発の津軽中里行きに乗車。金木(かなぎ)駅に向かいました。
三角屋根の大きな駅舎
駅前の道を進み作家太宰治の生家である斜陽館に向かいます。この日は時折細かい雨が降り路面が濡れていました。
道路脇の側溝。除雪した雪をここに入れるのです。雪国ならではの設備ですね。
兵庫県西脇市出身の美術家 横尾忠則さんの絵を彷彿とさせる「三差路」。ここに建つ食事処「ぽっぽ家」は元々金木駅の2階で営業していたそうですが、現在はこのビルで営業しているとのこと。左がメロス坂通り、右が荒馬通りと呼ばれています。
道を進み太宰治記念館「斜陽館」へ。御殿のような建物。戦後手放されて旅館になり町の観光名所になっていた時期もありました。
現在は国指定重要文化財として太宰治ゆかりの観光施設になっています。
入館料600円を払い中へ。
パンフレットによるとここは明治の大地主だった津島源右衛門(太宰治の父)が建築した入母屋造りの建物で、1階は11室278坪、2階は8室116坪で付属建物や泉水を配した庭園などを合わせて宅地約680坪の大豪邸でした。
1909年(明治42年)6月19日夕刻に津島家の6男10番目の子供として誕生した太宰治が生まれた部屋。
書斎と呼ばれていた母夕子の居室
ハイカラな洋間も
角度を変えて
ヒバの木がふんだんに使われた階段
マントを羽織り太宰治になりきって吹き出し持って記念撮影。吹き出しの文句はいくつかありましたよ。
そして太宰治ゆかりの建物がもうひとつ
「太宰治疎開の家 旧津島家新座敷」
昭和20年夏、激しい本土爆撃の中を逃れた太宰治が津軽の生家に身を寄せていました。
終戦後にこの離れに妻子とともに暮らし「パンドラの匣」など23作品を執筆した家。
入館料500円で中を見学できます。
離れとはいえ洋室を中心に両側に二間続きの和室を配置した5部屋の邸宅です。
家の中心にある洋室
23作品が執筆された書斎
新座敷は太宰治の長兄の文治の結婚に際して建てられたものでしたが、その文治が政界に復帰したて青森県知事となった時に大邸宅を売却。その際に新座敷を母屋から切り離して90mほど曳家して金木での居宅にしていました。母屋は旅館「斜陽館」の名で有名になりましたが、離れの存在は時とともに忘れられていったようです。太宰治没後からひっそりとしていた建物が、文壇登場後の居宅として唯一現存する貴重な建物として保存・公開されています。
窓ガラス越しに見える庭
さて金木という町は太宰治ゆかりの地とともに津軽三味線発祥の地でもあるのです。
斜陽館の向かいに「津軽三味線会館」があります。
津軽三味線の礎を築いた仁太坊に弟子入りし、師匠以上に腕を上げたといわれる白川軍八郎ゆかりの地なのです。
残念ながら冬期は休館中
会館の脇には舞台もありました。
津軽三味線発祥の地らしいデザインの自販機がありました。
「世界に一台の・・・」確かにそうですが・・・
こんな食堂がありました。次回訪れてラーメンを食べてみたいと思いました。
このあとは金木駅に戻ります。
津軽旅レポートつづく・・・