原尻の滝のあとは竹田市(たけたし)にある国指定史跡の「岡城跡(おかじょうせき)」へ。
入城料300円を支払い石段を上がっていきます。
高い石垣が見えてきました。
大手門跡
岡城は山深い稲葉川と白滝川に挟まれた断崖絶壁の場所に建てられた山城
周囲は石垣で固められまさに難攻不落の堅城です。
ここに来るまでに通ってきた道が眼下に見えました。竹田市は「荒城の月」を作曲した滝廉太郎の出生地。右下の木々が生い茂っている辺りの下り道で路面から「♪ハルコオウロウノハナノエン~」のメロディが聞こえました。ここでも耳を澄ませていると下からかすかに聞こえました。
岡城は1185年(文治元年)に平安末期の武将緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)が源義経を迎えるために築城したといわれています。その後豊後国守護大友氏の一族である志賀氏の居城となり、1586年(天正14年)に島津の大軍に攻撃されるも志賀親次(しがちかつぐ)がこれを撃退。難攻不落の城といわれる所以となったそう。志賀氏が城を去ったあとの1594年(文禄3年)に豊後国岡藩の初代藩主である中川秀成(なかがわひでしげ)が城に入り、総石垣の近世の城郭へと大改修が行われました。そして廃藩置県により13代(277年)続いた岡藩が終焉。廃城令により1874年(明治7年)に岡城内の建造物はすべて壊され現在は重厚な石垣だけが残っています。
その石垣にロープを掛けて登っている集団がいました。
なにかのイベントかと思いきや石垣の清掃作業でした。
しかも断崖絶壁にそびえる石垣に生えた草の撤去作業は命がけ。なんでも地元の登山経験を持つ人たちによるボランティア活動だそうです。(暑い中お疲れ様でした!)
本丸跡でも草刈り作業が行われていました。
本丸跡には菅原道真公を祀る岡城天満神社がありました。
菅原道真公は学問の神様であり、岡城は難攻不落の城であることから「落ちない」の験を担いで多くの受験生らが参拝に訪れるそうです。
去年9月の台風14号による倒木があったのですね。倒れた木はすでに撤去されていましたがロープが張られた場所が残っていました。
岡城跡はとにかく広いのです。よくもまあこんな場所に石垣を、城を造ったなぁというのが率直な感想。城内にはもみじなども多くあり木々が色づく秋に訪れたいと思いました。
なお城内をじっくり見て回るには1時間半はかかるかと。この日は次の行程があるため30分ほどで城を後にしました。
「岡城跡」へは史跡維持管理のため300円の入城料が要ります。領収証を兼ねた「登城手形」が渡されます。
アクセスなど詳しくは岡城跡公式ホームページをご覧ください。
大分弾丸フェリー旅レポートつづく・・・
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