うずらの戦争跡地を巡るツアー
きのうは加西市にある「うずらの戦争跡地を巡るツアー」が行なわれました。
昭和18年に設営された鶉野飛行場は姫路海軍航空隊が置かれていた場所で、航空戦力保持のためにパイロットを養成する場所として日本海軍が突貫工事で造ったといわれています。そして当時航空隊には17歳から25歳までの若者約320人が全国から集められ30時間の飛行訓練ののち各航空隊に配属されました。そして昭和20年には練習生による神風特攻隊である「白鷺(はくろ)隊」が編成され沖縄戦に参戦。63人の尊い命が失われました。滑走路脇には「平和祈念の碑」があります。
そして周囲には大小数多くの防空壕が残っています。
土を盛って小山のようにカモフラージュされた基地内最大の防空壕
長さ14.5m、幅5m、高さ5mの空間
中では地元の北条高校の生徒がボランティアガイドをしていました。内部には発電施設もあったようです。
鶉野飛行場の南西にはかつて川西航空機姫路製作所鶉野工場があり、ここでは戦闘機「紫電改」など500機余りが組み立てられ試験飛行も行われていました。
加西市ではこうした歴史遺産を整備する取り組みを進める中で、ことし6月に「紫電改」の実物模型を製作し公開を始めました。
長さ9.37m、翼の幅11.99m、重さ2トンの「紫電改 ニ一型」
ボランティアガイドの説明を熱心に聴く参加者のみなさん
実はこの建物は「紫電改」を展示するための施設ではなく、防災のための備蓄倉庫で、地下は貯水槽になっています。
蓋にしっかり書かれています。
そして災害時に機能するトイレも設備されています。
最初は何のパネルかと思いましたが足元を見てなるほどと思いました。
2年後には地域活性化拠点施設も整備してそこで紫電改模型を展示する計画だそう。
午後からは兵庫県立加西フラワーセンターに場所を移して昼食&トークショー。進行役を務めさせていただきました。
きょうガイド役を務めてくれた北条高校の生徒を代表して2年生のの飯尾彩加さんと高井結衣菜さんにお話を伺いました。普段から鶉野戦争遺跡をはじめ加西市を伝えるための様々な取り組みをされているそうで、今回初めてガイド役を経験したということです。
そして地元鶉野中町自治会区長の渕脇英義さんに登壇いただき、地域から見る鶉野飛行場跡地と今後についてお話いただきました。
実は渕脇さんは鹿児島県のご出身。43年前に仕事の関係から加西市に移り住まれたそうです。白鷺隊は鶉野から鹿児島の鹿屋へむけて出陣したこと考えると、そこに何かしらの縁があったのだろうと考えてしまいます。行政と自治体とが両輪になって観光資源としての鶉野を盛り上げていきたいと話されていました。
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