「一円電車まつり」が開催された日、明延鉱山の坑道見学会も行われました。
明延鉱山は今から約1270年前の天平年間に開山したとされ、奈良・東大寺の大仏鋳造にもここで産出された銅が献上されたという言い伝えもあります。明治政府の誕生で官営となりましたが1896年(明治29年)に三菱合資会社に払い下げられました。そして1909年(明治42年)に錫鉱が発見されて日本一の錫鉱として発展。銅や鉛、亜鉛など多くの鉱石を産出し発展。全国から多くの働き手が集まり鉱山の街として賑わいを見せていたそうです。しかし1987年(昭和62年)に円高と金属価格の下落によって立ち行かなくなり閉山しました。
日本遺産・近代化産業遺産になっている鉱山内をガイド案内で約60分歩きます。
頭上に高さ20mにもなる空洞があります。今なおそのままの状態で残る巨大な鉱脈跡です。
上部で採掘した鉱石は下に流れるように穴が掘られ通路脇に取り口が設けられています。
緑青が出来ているところは鉱脈とわかります。
他の観光化された鉱山と違って通路の舗装などはされていません。トロッコ線路なども残り当時のままの内部で生々しさが感じられます。
掘り進める機械の動力は空気。その圧縮空気を運ぶ鉄パイプが張り巡らされています。坑道の総延長は約550km。東海道新幹線の新大阪・東京間に匹敵する距離。垂直距離は約1kmで海面下約140mまで堀り進められたそうです。下部は水との戦いだったようで排出作業が止まった現在は水没しているそう。見学コースの坑道でもあちこち水たまりがありました。
坑道の途中に酒蔵があります。坑道内の年間平均気温は12度前後で一定の温度ゆえその特性を活かして日本酒の熟成に利用されています。
兵庫県宍粟(しそう)市にある山陽杯酒造の「播州一献 鉱山熟成大吟醸『明壽蔵』」として販売されています。
鉱山の上部と下部を結ぶエレベーター。鉱山の機械化が進んだのは昭和20年~30年代で大型重機なども使われました。こうした大型重機は分解して立杭エレベーターで運び、地下で組み立てられたそうです。
坑道内案内地図
坑道内には鉱山で使われた産業機械がそのまま展示されています。
掘削に使われた「クローラジャンボ」や小型の「ボーリング機」
トロッコを引く蓄電池式機関車
大型のダンプも置かれています。
鉱山跡とはいえいつでも採掘再開出来そうな生々しさが残る場所でした。
重機も出入りした大きな扉。上には山の神が祀られています。
来月6日(日)に今年最後の「日曜坑道見学会」があります。ちょうど紅葉も見頃でしょうか。
出口横には「一円電車」も置かれていました。
やぶ市観光協会の公式サイトはこちら
このあと朝来市にある神子畑選鉱場に行きます。つづく・・・
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