夜食を食べたあと「ウエストエクスプレス銀河」は午前1時に和歌山駅を出発。途中列車はどこかで停車し時間調整をしていました。午前4時半頃に再び動き出し、午前6時04分におもてなし停車駅である串本駅に到着。
向かいには始発電車が待機していました。
きのくに線(紀勢線)では自転車を積んで乗れるサイクルトレインが運行されています。
ここでの停車時間は約100分
乗客は改札を出てバスに乗り橋杭岩観光に出発!
駅から数分で「本州最南端道の駅」に到着。徐々に空が明るくなってきました。
目の前が海!そこには大小様々な奇岩が並んでいます。これが「橋杭岩」。海中に約850mの列をなしてそそり立つ大小40余りの岩柱で、国の名勝天然記念物に指定されています。
この日はあいにくの雨予報日。朝の間はまだ雨は降っていませんでしたが曇り空で日の出を見ることは叶いませんでした。
それでも潮が引いて岩の近くまで行けました。
海の浸食によって岩の固い部分が柱状に残り、橋の杭だけが立って見えることから「橋杭岩」と呼ばれています。
岩にはそれぞれに名前が付けられています。
吉野・熊野国立公園地域内にあるのです。
道の駅の2階に展望デッキがあります。
和歌山県の朝日夕陽百選の碑
橋杭岩観光を終えて串本駅に戻ります
ここは本州最南端の駅
駅前からは白浜空港行きのリムジンバスが出ています。
ただし朝夕1便ずつ
そして串本は「トルコ友好の町」とのこと。
駅前にはトルコの帆船「エルトゥールル号」の碑がありました。
1890年(明治23年)9月16日の夜、明治天皇の表敬訪問に来ていたオスマン帝国(現在のトルコ共和国の一部)の軍艦エルトゥールル号が帰路中に強風に煽られて座礁し沈没事故を起こしました。乗員656人が海に投げ出され、報せを受けた大島村(現串本町)の人たちが総出で救助と生存者の介抱にあたりました。生存者はわずか69人という大惨事だったのですが、このことがきっかけとなり日本とトルコは友好関係を築きました。駅構内にはそのことがパネルで紹介されています。1985年3月にはイラン・イラク戦争でイランの首都テヘランから脱出しようとした日本人の救援の際には、自国のトルコ人を差し置いてトルコ航空機が日本人を運んだという出来事がありました。それは他ならぬエルトゥールル号の遭難に伴う救助活動への恩返しだったのです。
詳しくは串本町の公式サイト「絆のものがたり」をご覧ください。
トルコのお守りなども展示されていました。
もうひとつ串本町には日本初の民間ロケット発射場「スペースポート紀伊」があります。小型人工衛星を積んだロケット初号機「カイロス」はこれまで何度か打ち上げが延期されていますが、来年2月末には打ち上げられる予定だということです。
JR串本駅
ホーム階段通路は工事中でした
午前8時00分発車
発車後しばらくして朝食が配られました。中身は温かな鯛飯!
レストラン「空海」特製の「漁師の朝御飯」で橋杭岩観光中に積み込まれたようです。
日付は17日に。
このあとは紀伊勝浦から新宮を目指します!
「銀河旅レポート」はつづく・・・
- 「朝は恋人」番組情報
- 「ウエストエクスプレス銀河」で紀南の旅へ③~串本駅編
- 「ウエストエクスプレス銀河」で紀南の旅へ④~最終目的地の新宮へ