2日目の宿泊先は国民宿舎「壱岐島荘」

郷ノ浦港からは車で40分ほどの距離にある島中央西側の海辺の高台にあります。部屋からの眺め。

昭和44年9月10日に皇太子ご夫妻、今の上皇ご夫妻が泊られた宿です。館内には当時の写真や使われた食器などが飾られていました。

この日の晩御飯メニュー

お造りは5種

サザエ

アワビの踊り焼き

壱岐牛陶板焼き

お酒のアテに美味しかったのが酢の物のレモンクラゲ

具だくさんの茶碗蒸し

そうめんの潮汁

ご飯は鯛めしでした。

宿の風呂は温泉。朝湯も気持ちよく浸かりました。

壱岐は麦焼酎発祥の地。ロビーでは試飲ができる販売コーナーが設けられていました。

翌朝には個数限定ながら烏賊の一夜干しとあじのみりん干しが売られていました。

帰路時に購入し食しましたが特に烏賊が美味しかったです。

翌朝一旦雨があがり周囲を散策

遊具のある公園がありウグイスの鳴き声も聞こえていました。

朝食

地元の納豆が添えられていました。

玄関先の床にこんな絵が!

観光バスの後部にも同じような絵が描かれていました。

これは「鬼凧(おんだこ)」と呼ばれる壱岐島の伝統工芸品です。鬼を退治しようと立ち向かった武者と、鬼の首がその兜に嚙みついた様子が描かれていて、家内安全・無病息災の魔除けになる縁起ものだそう。
出発準備を整えて壱岐観光に出発です。
対馬・壱岐旅レポートつづく・・・
番組内容
懐かしの名曲を中心に三上公也アナウンサーのセレクトで、月曜日から木曜日の朝のひとときを音楽で彩ります。
また、エンタメ、スポーツ、ライフスタイルなど、一日の始まりに入れておきたい情報もお伝えします。
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対馬グランドホテルでの昼食後お船江跡へ。

お船江跡(おふねえあと)とは、対馬藩の御用船を係留した船溜まりのこと。

江戸時代の貴重な遺構がそのまま残っているのです。

この頃、外は雨の降り様が激しさを増していました。見学もそこそこに対馬博物館へ移動。

対馬市役所の北向いにある博物館で、自然、歴史、文化、芸術を扱う総合博物館です。様々な資料を通して朝鮮半島など大陸の国々や日本本土と活発な交流をしている対馬のあゆみが紹介されています。
厳原(いづはら)の街中で、博物館の近くには韓国人観光客向けの観光物産館がありました。

ここに来れば日本各地の名産が手に入るようです。

こんなご当地ガチャがありました。限定ものには弱い私ですがこれは手を出しませんでした(笑)

厳原港からは「フェリーきずな」で壱岐へ移動。

15時25分発の便に乗船

壱岐の郷ノ浦港には定刻17時19分到着予定

ジェットフォイルなら約1時間の距離ですが、フェリーだと約2時間の船旅です。

2等船室に乗船

カラフルな座席は優先座席となっています。

靴を脱いでくつろげるスペースも

このフェリーも案内所で御船印が販売されていました。

乗船記念に購入しました。

そうこうしているうちに郷ノ浦港へ

小雨降る中着岸
3階部分にボーディングブリッジがセットされます。

下船

春先に吹く南寄りの強い風のことを「春一番」といいますが、この言葉は壱岐が発祥の地だそう。
安政6年(1859年)にこの強い風を受けて多くの地元漁師が遭難しました。以来自然の怖さを忘れないようにと慰霊碑とともに「春一番の塔」が建てられているそうです。

壱岐・郷ノ浦港ターミナルに到着

ここからは迎えの玄海交通のバスで宿泊先の壱岐島荘へ直行します。

対馬・壱岐旅レポートつづく・・・ -
対馬2日目の朝。ホテルからの日の出。午前6時20分過ぎでした。

朝食はバイキング形式。簡易ながらも炊き込みご飯が美味しかったです。

午前8時にホテルを出発。島北部の上対馬町の高台にある韓国展望所へ。

韓国・釜山まで49.5㎞という地理的にも歴史的にも深い関係がある韓国の古代建築様式を取り入れた建物

今年の3月にリニューアルされ周回するスロープで上がれるようになり、建物内では大型モニターによる対馬の紹介がされていました。

床下部分の造り

この展望所からは気象条件が整えば釜山の街並みが見え、特に夜景が綺麗で打ち上げ花火が見えることもあるそうです。

日本最北西端にある航空自衛隊海栗島(うにしま)分屯基地。国境の要衝です。

鰐浦(わにうら)の入江

鰐浦の集落が見えます。

ここは対馬の木であるヒトツバタゴの最大の群生地で、咲き誇る頃にはあたり一面真っ白になるそう。

ここには殉職者の碑がありました。

元禄16年(1703年)に釜山から対馬に向かっていた108人を乗せた訳官吏船が嵐に襲われ全員が海にのまれる事故があったそう。国際交流を背景にした国家使節団の事故ということから官民の枠を越えた碑が設置されたようです。

トイレも韓国様式を模していました。

ここから対馬野生生物保護センターに向かいますが、途中農道を通る際に携帯電話の電源を切るか機内モードにするよう案内がありました。韓国との距離が近く、通信した場合に国際電話とみなされてしまうことがあるからだそう。それだけアンテナが近いということなのですね。

その農道を通った際に車窓から「異国の見える丘展望台」が見えました。ここも海峡を挟んで異国が見えるスポット。

約50分ほどの移動で「対馬野生生物保護センター」に到着

環境省の施設で、ツシマヤマネコに関する展示をはじめ、野生生物の保護・増殖を目的とした研究を行っています。

先月9歳の誕生日を迎えた「かなた」に会えました!

やや丸いふっくらした顔立ち

対馬にだけいる野生の猫。絶滅の危機に瀕する種で、推定生息数は約100頭だそう。

この施設の入館料は無料ですが、保護支援のカンパをすることでクリアファイルがもらえます。

館内にはツシマヤマネコの鳴き声を聴くことが出来ます。ネコとは思えない鳴き声をするのにビックリしました。

記念スタンプ

トイレの表示もツシマヤマネコ

くつろげるスペースもありました。写真掲載は控えますがヘビも展示されていました。

国の天然記念物であるツシマヤマネコを保護する際に問題になるのが交通事故。朝夕など活動時間帯は車の運転に注意がいるようです。

ここから昼食会場となる南部の「対馬グランドホテル」へ向け出発。途中山間の畑で農作業が行われていました。島の90%が山という中で貴重な光景です。

1時間半ほど走って対馬グランドホテルに到着

昼食のメインは「対馬あなご天丼」で刺身や和え物などがセットになったランチでした。

あなごや野菜の天ぷらがのっていました。
食事を終えた頃、午後から雨の天気予報通り降り出しました。

午後も対馬観光は続き、その後壱岐へ渡ります。
対馬・壱岐旅レポートつづく・・・ -
晴れ渡った昨日、イタリアの客船「コスタ セレーナ(114,147㌧)」が神戸に初めてやってきました。

午前5時前、大阪湾に入ってきたのを確認

午前6時過ぎに神戸港に入ってきました。

「セレーナ」とはイタリア語で「晴れた」「穏やかな」という意味だそう。

定刻の午前6時半に着岸。朝の間は西の空に雲が掛かっていましたが入港後徐々にその雲も取れてきました。

「コスタ セレーナ」はコスタクルーズ社の12隻目の客船でカジュアル船として2007年に就航。神戸へは初めての寄港です。

全長290m、最大幅35.5m 乗客定員3,780人の客船
船はイタリア・ジェノバ製

韓国・済州からの寄港でしたが、今回のクルーズの乗客は大半が日本人。神戸で下船した人もいたようでスーツケースが下ろされていました。

神戸ポートターミナル前には乗船客ツアー用の観光バスがずらりと並んでいました。

それでも滞在時間は7時間半ほどと短め

午後2時には離岸し東京へ向かいました。

今日5月4日(土)には「セレブリティミレニアム(91,011㌧)」が午前8時に入港予定です。 -
対馬は九州と朝鮮半島の間に浮かぶ長崎県の島です。南北約82㎞、東西約18㎞の沖縄の3分の1ほどの大きさの島。九州最北端の島で、長崎市内からは145㎞、福岡市内からは132㎞ほど離れています。最も近い都市は韓国の釜山。その距離は49.5㎞ほどで気象条件が良ければその街並みが見える国境の島でもあるのです。島土の90%は山で原生林が残る自然に包まれたところです。歴史的には古くから日本と大陸を結ぶ海上交通の要衝で、朝鮮出兵や日露戦争など海外と対峙する際の最前線となった場所でもあります。ゆえに島の南部は北九州系文化が、北部は朝鮮文化系が根付いているといわれます。また台風や地震など大きな自然災害が少なく昔のまま残された遺産も数ある島でもあるのです。
そんな対馬でまず訪れたのが国指定史跡の万松院(ばんしょういん)
1615年(元和元年)に宗家20代の義成(よしなり)が、父義智(よしとし)の冥福を祈って建立されたもので、以来鎌倉時代から対馬を統治していた宗家の菩提寺となりました。

本堂は数度の火災に遭い、現在の本堂は1879年(明治12年)に建てられたものです。
本堂内正面の扁額「萬松積舎」は皇室からの賜りもの

朝鮮国王から贈られた三具足(みつぐそく)元々3セットあったそうですが、第二次大戦で金属供出され一番小さなこのセットのみが残されているとのこと。今となっては見ることが出来ませんがどれほどの大きさのものだったのでしょう。しかしこのようなお宝が雑然と置かれていて良いものなのでしょうか。

徳川歴代将軍の位牌が安置されていました。対馬は朝鮮との外交窓口として朝鮮からの使者は対馬経由で江戸に向かいましたが、その際外交的権威を示すために歴代将軍の位牌が安置されたそうです。

境内にある「諫鼓(かんこ)」
諫鼓とは領主に対して人民が諫言をする際に鳴らす鼓の事だそうで、鳴らされないということは善政が続いているということになります。長い間打たれることのないままの太鼓の上で鳥がくつろぐ「諫鼓鶏」は平穏な世の中を象徴するものとされていました。商売が上がったりという「閑古鳥」の語源かもしれません。平穏が長く続くことでお客さんが来ない閑散とした状態のことをいつの間にかいうようになったのかも・・・です。

百雁木(ひゃくがんぎ)と呼ばれる132段の石段。この先に歴代藩主の壮大な墓所「御霊屋(おたまや)」があるのです。

墓所の手前に大きな杉の木が3本ありました。

樹齢1200年ともいわれる大きな杉の木です。

対馬一といわれる杉の木です。

墓所の北端にある上御霊屋へ

各御霊屋の中で最も高い位置にあり、宗家19代から32代までの藩主とその夫人や子の墓が建てられています。
その中で万松院の由来となった宗家19代義智の墓がこれ。

鎌倉時代から対馬を統治し、朝鮮出兵から国交回復の和平交渉など苦難に満ちた生涯を送った人にしては質素な墓。隣の息子の墓の方が大きくて立派でした。

132段の石段を下ります。

対馬は韓国からの観光客も多くあちこちに韓国語表記がありました。

バスのステップにも

観光地にWi-Fiは欠かせませんね。

このあとは防衛最前線の島の歴史遺産を訪ねます。
対馬旅レポートつづく・・・



