対馬は九州と朝鮮半島の間に浮かぶ長崎県の島です。南北約82㎞、東西約18㎞の沖縄の3分の1ほどの大きさの島。九州最北端の島で、長崎市内からは145㎞、福岡市内からは132㎞ほど離れています。最も近い都市は韓国の釜山。その距離は49.5㎞ほどで気象条件が良ければその街並みが見える国境の島でもあるのです。島土の90%は山で原生林が残る自然に包まれたところです。歴史的には古くから日本と大陸を結ぶ海上交通の要衝で、朝鮮出兵や日露戦争など海外と対峙する際の最前線となった場所でもあります。ゆえに島の南部は北九州系文化が、北部は朝鮮文化系が根付いているといわれます。また台風や地震など大きな自然災害が少なく昔のまま残された遺産も数ある島でもあるのです。
そんな対馬でまず訪れたのが国指定史跡の万松院(ばんしょういん)
1615年(元和元年)に宗家20代の義成(よしなり)が、父義智(よしとし)の冥福を祈って建立されたもので、以来鎌倉時代から対馬を統治していた宗家の菩提寺となりました。
本堂は数度の火災に遭い、現在の本堂は1879年(明治12年)に建てられたものです。
本堂内正面の扁額「萬松積舎」は皇室からの賜りもの
朝鮮国王から贈られた三具足(みつぐそく)元々3セットあったそうですが、第二次大戦で金属供出され一番小さなこのセットのみが残されているとのこと。今となっては見ることが出来ませんがどれほどの大きさのものだったのでしょう。しかしこのようなお宝が雑然と置かれていて良いものなのでしょうか。
徳川歴代将軍の位牌が安置されていました。対馬は朝鮮との外交窓口として朝鮮からの使者は対馬経由で江戸に向かいましたが、その際外交的権威を示すために歴代将軍の位牌が安置されたそうです。
境内にある「諫鼓(かんこ)」
諫鼓とは領主に対して人民が諫言をする際に鳴らす鼓の事だそうで、鳴らされないということは善政が続いているということになります。長い間打たれることのないままの太鼓の上で鳥がくつろぐ「諫鼓鶏」は平穏な世の中を象徴するものとされていました。商売が上がったりという「閑古鳥」の語源かもしれません。平穏が長く続くことでお客さんが来ない閑散とした状態のことをいつの間にかいうようになったのかも・・・です。
百雁木(ひゃくがんぎ)と呼ばれる132段の石段。この先に歴代藩主の壮大な墓所「御霊屋(おたまや)」があるのです。
墓所の手前に大きな杉の木が3本ありました。
樹齢1200年ともいわれる大きな杉の木です。
対馬一といわれる杉の木です。
墓所の北端にある上御霊屋へ
各御霊屋の中で最も高い位置にあり、宗家19代から32代までの藩主とその夫人や子の墓が建てられています。
その中で万松院の由来となった宗家19代義智の墓がこれ。
鎌倉時代から対馬を統治し、朝鮮出兵から国交回復の和平交渉など苦難に満ちた生涯を送った人にしては質素な墓。隣の息子の墓の方が大きくて立派でした。
132段の石段を下ります。
対馬は韓国からの観光客も多くあちこちに韓国語表記がありました。
バスのステップにも
観光地にWi-Fiは欠かせませんね。
このあとは防衛最前線の島の歴史遺産を訪ねます。
対馬旅レポートつづく・・・