昨日の番組の中でお話した日本一短い国道。

それが神戸税関庁舎東側を走る神戸港と国道2号を結ぶ道路です。

この国道は元々はさらに山側の三宮交差点まで伸びる道でした。

その道が短くなった理由を以前さんちかの歴史に詳しい方に伺いました。1965年(昭和40年)にオープンした三宮の地下にある商業施設「さんちか」の誕生に関係していたとのこと。当時神戸市が三宮地下街の開発を進めていく中で、法律によって国道の下に商業施設をつくることが許されませんでした。そこで考えられたのが道路の指定変更です。1962年(昭和37年)に市役所前の南北に走るフラワーロード(県道30号)と一本東側のポートライナーが通る同じく南北の道(国道2号)の付け替えが行われました。そのため税関前交差点から南の部分だけがトカゲの尻尾のように残ったという訳です。

街の開発と道路との関係、歴史を紐解くと「何故?」がわかりますね。
番組内容
懐かしの名曲を中心に三上公也アナウンサーのセレクトで、月曜日から木曜日の朝のひとときを音楽で彩ります。
また、エンタメ、スポーツ、ライフスタイルなど、一日の始まりに入れておきたい情報もお伝えします。
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横浜駅からJRで桜木町に移動

東神奈川駅と八王子駅間を走るE233系車両。横浜駅を経由して根岸線に直通、大船駅まで乗り入れています。

テレビはいよいよ電車に進出ですか!

馬車道から赤レンガ倉庫方面へ

「あかいくつ」という名の横浜周遊バスが走っていました。

足元近くに何かが近づいてくると思ったらムクドリでした。

ハトは日向ぼっこ

横浜みなとみらいクルーズが楽しめる観光船「マリーンルージュ」

出港時刻に間に合い乗船

60分のアフタヌーンクルーズ。乗船料金は大人2,400円でした。

御船印は300円

14時30分離岸

快晴のクルーズ日和!

水陸両用船「スカイダック」。気持ちよさそう。

横浜ベイブリッジに差し掛かりました

橋の下をくぐります

夜景を楽しむナイトクルーズは綺麗なことでしょう

神戸港にも似た光景

羽田空港を離陸したJAL機

こちらはエアドゥ機

神戸港でも見かける自動車運搬船

岸壁にはずらりと並んだ乗用車が

トラクタやクレーン車なども待機

南極観測船「しらせ」が停泊していました。海上自衛隊での正式船名は「砕氷艦 しらせ」。4月には船内が一般公開されたようです。

横浜港は「さとうのふるさと」だったのですね。

神戸港に比べると横浜港はやはりスケールが大きいと感じます。神戸港にはない風力発電施設がありました。

横浜海上保安部の巡視船「おおすみ」

海上保安庁の基地があります。巡視船「いず」(手前)と消防船「ひりゅう」

その先に外国帆船が停泊していました。初寄港したオランダの帆船「スタッド・アムステルダム」。19世紀の高速帆船を忠実に復元した船で、今日20日(月)午後3時半には神戸港第1突堤に入港予定です。

新港ふ頭にある「ハンマーヘッドクレーン」。金槌に似たフォルムからそう呼ばれています。大正時代に造られた歴史あるクレーンで、日本にはここ横浜とあとは長崎の三菱長崎造船所、佐世保重工佐世保造船所の3カ所に現存しています。長崎屋佐世保は横浜より大きい「ジャイアントカンチレバークレーン」と呼ばれるクレーンが残っています。

赤レンガ倉庫前と横浜駅東口を結ぶシーバス。出港していきました。

もう一隻青いシーバス船がありました。

下船後赤レンガ倉庫前を通るとこんな車が停まっていました。

最大傾斜45度の急坂を車で登る体験が出来る設備を積んだ三菱自動車の車両でした。

この土日に開催された「ル・ボラン カーズ・ミート2024」という車イベントの事前準備が行われていました。

海外の高級車や

国内車メーカーの車両が並んでいました。

準備だけ見てこの場をあとにしました。 -
万松院の次は上見坂園地(かみざかえんち)へ移動

緑の多い憩いの場所

厳原と美津島の町境にある標高358mの景勝地で、浅茅湾(あそうわん)をはじめ天気が良ければ韓国の山々も見えるとのことですが・・・

この日はまだ大陸からの黄砂が残り霞んでいました。

ここは上見坂堡塁(かみざかほうるい)と呼ばれる場所で、遊歩道の奥には明治34年から35年(日露戦争前)にかけて築かれた砲座跡などがあります。堡塁とは防御型陣地のことで、古くから島の東西を結ぶ交通拠点であり軍事拠点であったことが伺えます。
「砲兵詰所跡」と説明文にはありますが、実際は敵兵の上陸・白兵戦を想定した構造の退避所だったようです。

兵舎跡

前線基地というよりは敵の上陸に備えて島の中心部や、対馬要塞指令部などを守ることを目的に設営された拠点のようです。

中の様子

砲座跡

砲座の下には壕があり道具の保管や砲手の仮眠所として使われたようです。

真っ暗な壕の内部をフラッシュ撮影しましたが、時々こうもりがいるとガイドさんに聞かされました。実際には第二次大戦中敵艦が近寄ることなく一回も発砲することはなかったそうです。それだけ威力のある大砲が設置されていたということですね。島内にこうした砲座あとは31カ所あるそうです。周辺にはこのほかにも見どころはあるようですよ。

公園内の青もみじ。秋は綺麗に赤く色づくのでしょうか。

公園をあとに宿泊先である北部・比田勝方面に向かいます。島は東西約82㎞ですが、島の中心部を走る国道は山道でクネクネと曲がっていて、距離にすると100㎞ほどあるようです。それゆえ途中の「対馬万関憩いの広場」でトイレ休憩。

万関橋(まんぜきばし)という大きな赤い橋が架かっています。対馬は北と南2つに分かれた島と思われていますが、実は元々1つの島でした。ただ船で東西の行き来の際にぐるっと大回りしなければなりません。
そこで明治後期ロシアとの戦争機運が高まった際、日本海軍が船の往来のため開削したのです。その開削した万関瀬戸に架けられた橋がこの万関橋で現在の橋は3代目だそう。

万関憩いの広場で咲いていたヒトツバタゴ

モクセイ科の大陸系植物でこんな白い花を咲かせます。例年5月初旬に咲く花だそうですが今年はすでに咲き誇っていました。北部鰐浦地区には国内最大の自生地があり山が真っ白に見えるそうです。

自販機は白ではなく「青」でした(笑)
対馬市内のペットボトル飲料の値段は1本170円~180円。本土に比べ割高。やはり輸送コストがかかっているのですね。

細い枝のゲンカイツツジも咲いていました。

対馬の発電所は内燃力(ディーゼンエンジン)による発電が主体ですが、近年太陽光発電などにも取り組まれています。

ガソリン価格は1リットルあたり194円の看板を見ました。高いときは200円を超えた時もあったそう。離島価格ですね。そして車もですが対馬は漁業で生計を立てている人が多く、船舶の燃料代の高騰に頭を抱えている人も少なくないのです。車といえばレンタカーでこんな「国際免許」と書かれたステッカーを貼った車を見かけました。これは「イチョウマーク」と呼ばれるもので、外国人が対馬島内で国際運転免許証を使用してレンタカーを運転する場合に、車の前後に表示することにより「外国人が運転する車」と周囲の運転者の配意を促し、交通事故防止につなげるものだそうです。

イチョウマークの車両を見たら、車間距離を空けたり狭い道路での離合時は停止するなど、優しい運転を心掛け交通事故を防ぎましょうと呼びかけられています。対馬島内の道はセンターラインの無い細い道が多いので右側通行に慣れた外国人への配慮も必要ということですね。

このあとは比田勝港近くで夕食を取りホテルへ向かいます。
対馬旅レポートつづく・・・ -
対馬は九州と朝鮮半島の間に浮かぶ長崎県の島です。南北約82㎞、東西約18㎞の沖縄の3分の1ほどの大きさの島。九州最北端の島で、長崎市内からは145㎞、福岡市内からは132㎞ほど離れています。最も近い都市は韓国の釜山。その距離は49.5㎞ほどで気象条件が良ければその街並みが見える国境の島でもあるのです。島土の90%は山で原生林が残る自然に包まれたところです。歴史的には古くから日本と大陸を結ぶ海上交通の要衝で、朝鮮出兵や日露戦争など海外と対峙する際の最前線となった場所でもあります。ゆえに島の南部は北九州系文化が、北部は朝鮮文化系が根付いているといわれます。また台風や地震など大きな自然災害が少なく昔のまま残された遺産も数ある島でもあるのです。
そんな対馬でまず訪れたのが国指定史跡の万松院(ばんしょういん)
1615年(元和元年)に宗家20代の義成(よしなり)が、父義智(よしとし)の冥福を祈って建立されたもので、以来鎌倉時代から対馬を統治していた宗家の菩提寺となりました。

本堂は数度の火災に遭い、現在の本堂は1879年(明治12年)に建てられたものです。
本堂内正面の扁額「萬松積舎」は皇室からの賜りもの

朝鮮国王から贈られた三具足(みつぐそく)元々3セットあったそうですが、第二次大戦で金属供出され一番小さなこのセットのみが残されているとのこと。今となっては見ることが出来ませんがどれほどの大きさのものだったのでしょう。しかしこのようなお宝が雑然と置かれていて良いものなのでしょうか。

徳川歴代将軍の位牌が安置されていました。対馬は朝鮮との外交窓口として朝鮮からの使者は対馬経由で江戸に向かいましたが、その際外交的権威を示すために歴代将軍の位牌が安置されたそうです。

境内にある「諫鼓(かんこ)」
諫鼓とは領主に対して人民が諫言をする際に鳴らす鼓の事だそうで、鳴らされないということは善政が続いているということになります。長い間打たれることのないままの太鼓の上で鳥がくつろぐ「諫鼓鶏」は平穏な世の中を象徴するものとされていました。商売が上がったりという「閑古鳥」の語源かもしれません。平穏が長く続くことでお客さんが来ない閑散とした状態のことをいつの間にかいうようになったのかも・・・です。

百雁木(ひゃくがんぎ)と呼ばれる132段の石段。この先に歴代藩主の壮大な墓所「御霊屋(おたまや)」があるのです。

墓所の手前に大きな杉の木が3本ありました。

樹齢1200年ともいわれる大きな杉の木です。

対馬一といわれる杉の木です。

墓所の北端にある上御霊屋へ

各御霊屋の中で最も高い位置にあり、宗家19代から32代までの藩主とその夫人や子の墓が建てられています。
その中で万松院の由来となった宗家19代義智の墓がこれ。

鎌倉時代から対馬を統治し、朝鮮出兵から国交回復の和平交渉など苦難に満ちた生涯を送った人にしては質素な墓。隣の息子の墓の方が大きくて立派でした。

132段の石段を下ります。

対馬は韓国からの観光客も多くあちこちに韓国語表記がありました。

バスのステップにも

観光地にWi-Fiは欠かせませんね。

このあとは防衛最前線の島の歴史遺産を訪ねます。
対馬旅レポートつづく・・・ -
このほど国境の島といわれる対馬と壱岐の2島を巡ってきました。

今回の旅は初めての地でもあり20人ほどの旅行会社のパッケージツアーに参加。新神戸駅から山陽新幹線「のぞみ」で博多に向かいます。

やってきたのはN700S車両

それも大阪・関西万博ラッピング車両でした!

博多駅から博多港へは迎えのバスで移動。

ここからは九州郵船のジェットホイル「ヴィーナス」に乗船。川崎重工神戸工場で造られた船です。

博多港をゆっくり離岸。2時間15分の船旅のはじまりです。

船内の様子。金曜日でしたがそれなりに乗船率は高かったです。

このジェットフォイルに乗船中に中国の自前客船「アドラ マジック シティ」とすれ違ったのでした。そのブログ記事はこちら
1時間5分ほどで壱岐の芦辺港に到着!

そして5分後に出港。さらに1時間5分で対馬の厳原(いづはら)港に到着。

船内の売店では御船印が販売されていました。

買い求めて公式船印帳に貼りました。

下船後はバスに乗車し対馬島内観光に移ります。
対馬旅レポートつづく・・・



