中ノ島の観光を終えて再び菱浦港へ
ここからは観光船「第58くにが丸」に乗って西ノ島の別府港に移動
港を離れます
「フェリーどうぜん」が停泊中
そこそこのスピードで走行
10分ほどで別府港に到着
隠岐にも「別府」の名ががあるのですね
港から西ノ島の観光リゾートホテル「リゾ隠岐ロザージュ」へ
ここで昼食
ランチは「イカ漬け丼」
卵を崩してかき混ぜて口の中へ。地元のイカ料理が食べられました!
蒸した牡蛎もセットで(^^♪
今度はここにも泊まってみたいと思いました。
目の前に海が広がっています
ホテルの敷地内に弁天さんがいました
弁天さんの膝周りには丸い石が積まれていましたが、願い事を小石に書いてお供えをするとその願いが叶うのだそう。
食事を終えて西ノ島観光スタート!まずは眺めの良い観光スポット「赤尾展望所」へ
木造の展望台がありました
先端の先は北京や釜山の方向。本土の松江とは80㎞、大阪とは270㎞離れています
放牧された馬が気持ち良さそうに草を食べていました。暑くないのか・・・
ここは牛や馬の放牧地ゆえ足元に注意が必要です
国賀海岸の摩天崖・通天橋が見えます。このあとあちらに移動。
摩天崖も牛や馬の放牧場になっています。西ノ島の産業の第一は漁業、第二は観光そして第三は畜産業だそう。
遊歩道の先に屋根付きの建物が見えます
ここにも牛や馬に対する注意看板がありました
木造の休憩所。人は入れますが牛や馬は入れないような仕掛けが周囲にされていました。
第二次大戦中に旧日本軍が使っていた監視所跡
この窪んだ場所が監視所跡。敵船の監視にはうってつけの場所だったようで、建物は半地下式で屋根には芝が張られていたそう。
標高257mの崖の上です
ここからの眺め
ジオパークらしい景観
ワニのようにも見えますが、鉄道好きには東海道・山陽新幹線のN700Sの先頭車両にも見える!?
このあとは浦郷港に向かい国賀めぐり遊覧船に乗ります!
隠岐島旅レポートつづく・・・
番組内容
懐かしの名曲を中心に三上公也アナウンサーのセレクトで、月曜日から木曜日の朝のひとときを音楽で彩ります。
また、エンタメ、スポーツ、ライフスタイルなど、一日の始まりに入れておきたい情報もお伝えします。
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旅の2日目は西郷港からフェリーに乗って隠岐諸島で2番目に大きな島、島前(どうぜん)の中ノ島へ向かいます。
午前8時30分出港の「フェリーしらしま」に乗船
隠岐だけにこんな見送り看板が(笑)
「フェリーしらしま」の船体にはゲゲゲの鬼太郎でおなじみの登場キャラクターが描かれていました。水木しげるロードの隠岐への延長に合わせて「鬼太郎フェリー」として側面にイラストが描かれているとのこと。
作者である水木しげる氏は本名が「武良 茂(むら しげる)」といい、隠岐・島後(隠岐の島町)には「武良」と名の付く地区があります。そして本名の姓から、水木氏のルーツは同名の集落「武良郷(現中村)」とされています。ご本人も隠岐に足を運ばれた際にそう語られたそうです。
そんなことから隠岐島内には様々な妖怪ブロンズ像があるのです。港の玄関口西郷港にはゲゲゲの鬼太郎親子とねずみ男がいました。
乗船
出港時に紙テープを使った別れのシーンが見られました。
海外から隠岐を訪れていた家族の見送りだったようです
出港してほどなく高速船がスーッと抜いていきました
本土と隠岐諸島を約1時間で結ぶ「超高速船レインボージェット」。海面から浮いて進んで行きました!
晴れて穏やかな日本海
途中小さな島々が見えました。大半が無人島とのこと。
この船は中ノ島・西ノ島・知夫里島を経由して鳥取県の境港行きで13時20分着。その後14時25分に境港を出港して西ノ島経由で島後の西郷港に戻ります。
70分の乗船で中ノ島(海士町)に到着
島の玄関口となる菱浦港で下船
隠岐汽船の航路はこのように結ばれています
港の交番
隠岐は「流刑の島」といわれています。謀反を犯した人や政治犯など2000人以上が島流しにあったとされています。鎌倉幕府を打倒しようとした承久の乱で敗北した後鳥羽上皇や元弘の乱で捕らえられた後醍醐天皇らも島に流されました。中ノ島は後鳥羽上皇が崩御するまでの19年間過ごした地です。
ゆかりの史跡を訪ねました
後鳥羽天皇火葬塚
後鳥羽上皇行在所跡(仮御所跡)
かつては源福寺というお寺があった場所で、建物はなく石碑のみが建っていました。また周囲には後鳥羽上皇が詠んだ歌碑がありました。
隠岐神社へ
後鳥羽上皇を祀る神社で、没後700年祭を記念して昭和14年(1939年)に創建
境内に四角く囲まれた場所がありました
蹴鞠が行われる場所だったのですね
拝殿左手にある校倉造りの建物
中には神輿が2基収められていました
参道右手にある狛犬ですがよく見ると子狛犬がいるではありませんか!
初めて見ましたが足にしがみつくようにしていました。
ここにも土俵がありました。今なお相撲文化が引き継がれています。
しゃもじ型のバス停。海士町発祥の民謡「キンニャモニャ」があるのですが、この民謡は両手にしゃもじを持って踊ることからしゃもじは海士町を象徴するものなのだそう。
海士町後鳥羽院資料館にも立ち寄りました
「だんだん」とは島根の方言で「ありがとう」の意。またお越しくださいとのことです。
この日も蒸し暑く常に水分補給していました。地元のみかんサイダーを購入。あっさりしていて炭酸ながら一気飲みしました。
隠岐海士交通のタクシー。環境に配慮した電気自動車でした。
現地で観光ガイドしていただいた小澤さんに見送られて出発
このあとは菱浦港に戻り西ノ島に向かいます。