「おいでませ山口」レンタカーでドライブ旅⑤~松陰神社・松下村塾と萩反射炉・恵美須ヶ鼻造船所跡へ
「センザキッチン」でのランチを済ませ松陰神社へ

吉田松陰を祀る神社で伊藤博文らによって建立された神社です

まずはお詣り

左隣には松門神社がありました。ここは元々の松陰神社社殿で、現社殿に移築した際に吉田松陰の塾生・門下生を祭神として創建された神社だそう

境内には世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産である「松下村塾(しょうかそんじゅく)」があります

「松下村塾」とは明治の先覚者である吉田松陰が主宰した私塾

松陰の教えを受け継いだ塾生らの多くがのちの近代化・工業化の過程で重要な役割を担ったとされています

多くの塾生が学んだ地とはいうもののここで松陰が教育した間はわずか1年だったようです
松陰神社から車で10分ほどのところに世界遺産「萩反射炉」があります

長州藩の軍事力を強化を図るために鉄製の洋式大砲を必要とし、その鋳造を目指して試作された金属を溶解するための炉です

現在残っている遺構は反射炉の煙突部分にあたるもの。高さ10.5mの煙突は安山岩積み(上方の一部はレンガ積み)で出来ています

結局は技術的にも費用的にも難しいことから本式の反射炉の築造は断念され試作のみで終わったようです

そして萩反射炉から数分のところにある世界遺産群の「恵美須ヶ鼻造船所跡(せびすがはなぞうせんしょあと)」へ

ここは幕末に萩藩が洋式帆船を建造した造船所跡

ここではロシア式の「丙辰丸(へいしんまる)」とオランダ式の「庚申丸(こうしんまる)」の2隻の洋式帆船が建造されたそうで、2つの異なる技術による造船を一つの造船所で行ったのは全国でもここだけなのだそう

建造のきっかけとなったのが1853年(嘉永6年)のペリー来航。海防強化を図るために大船建造が解禁され、翌年には浦賀警備にあたっていた萩藩などに建造要請があったそうですが、財政逼迫などの理由から萩藩は消極的でした。しかし桂小五郎(のちの木戸孝允)の尽力で洋式船建造に向けて動き出したとのことです

こうして萩藩は洋式木造船の自力建造に成功したのですが、その頃には蒸気船が主流となり、外国製の蒸気船を購入する方針に転換され、結局ここで新たな艦船が建造されることはなかったそうです。造船所跡は碑のみがあり発掘調査後はロープが張られて木屋のあった場所などが示されているだけとなっていました。現存するのは石造堤防のみです

世界遺産巡りを終えて2日目の行程は終了。この日の宿に向かいます。
山口ドライブ旅レポつづく・・・




































